【書評】<第2回>「夜は短し歩けよ乙女」森見登美彦

 この本は大学生男子諸氏にとっては毒物のようなものだ。

 

 大変面白い。老若男女誰にとっても面白いが、特に大学生男子が読むと道を誤る危険性があるほどの面白さだ。

 私は「夜は短し歩けよ乙女」をきっかけに森見ワールドにどっぷりつかることになったわけなのだが、この本に出合ってしまったのは大学3年生の頃だった。本屋大賞2位を受賞してすでに有名な作品だったのだが、そんなこととはつゆ知らず、文庫本の表紙の絵とタイトルに惹かれた「ジャケット買い」だった。

 

 結果的にこのジャケ買いは大成功だった。森見登美彦が描き出す腐れ男子大学生の生態が、独特の語り口で紡ぎだされて完全なる森見ワールドを作り出しているのである。一度読みだしたら最後、ページをめくるのを止めること能わず、というほどの面白さだ。

 

 主人公たる「先輩」ほど腐れ果てている大学生はなかなか見つからないだろうが、その腐り方の方向性は誰にでも心当たりがあるだろう。好きな子に思いを伝えられない、話しかけられないだけなのに、自分や周りに対しては「これは作戦なのだ」とうそぶき誤魔化す経験に思い当たるのは私だけではないはずだ。(そうであってほしい。)

 

 ヒロインである「黒髪の乙女」のキャラクターも秀逸だ。いや、キャラクター以前に「黒髪の乙女」という呼称こそが画期的であるとさえ言っていい。髪が黒い若年の女性ということ以外何もわからないにも関わらず、この呼称だけで腐れ男子大学生が惚れるのにこれほどふさわしいキャラクターはいない、と思えてしまう。腐れた男子大学生が惚れるのは決して茶髪や金髪の乙女ではないのである。(※勝手なイメージです。)

 この黒髪の乙女、まったく浮世離れした女性である。蟒蛇のように酒を食らい、どこに行っても主役となり、そのくせそんな自覚は本人にはまったくない。「こんな女はこの世のどこにも存在しない、男の妄想が作り上げた偶像だけしからん」というお叱りもどこかの誰かが主張しそうな気がするが、たぶんこの作品ではこのキャラクターが正解なのだ。腐れ男子大学生が惚れるのは、地に足の着いた現実感がプンプンと匂い立つような女性では、きっとない。そしてこれは、あくまで主人公たる「先輩」の腐れたフィルターを通しての「黒髪の乙女」なのだ。だから怒ってはいけない。

 

 京都の大学を舞台にした森見作品の文章には独特の軽妙さがあり、「四畳半神話大系」や「恋文の技術」、「新釈走れメロス他四編」でもその軽妙さが遺憾なく発揮されている。 この「夜は短し歩けよ乙女」皮切りに、森見登美彦の腐れ男子大学生ワールドをぜひとも堪能していただきたい。

 ただし、繰り返すが男子大学生諸氏には毒物のようなものなのでくれぐれもご用心いただきたい。「先輩」的な素養は君たちの中にあるだろうが、きみたちはまだ「先輩」ほどには腐れていないはずなのだから。

 

夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)

夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)