【書評】<第3回>「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」七月隆文

  大人になったらかからないものと思い込んでいた虫垂炎に社会人になってからかかってしまった時、会社の同僚が差し入れてくれた本のうちの一冊がこの「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」だ。福士蒼汰の主演で映画化もされているので、映画のほうになじみがある人も多いかもしれない。

 作家の七月隆文氏の著書を他に読んだことがなく、今回書評を書くにあたってwikipediaで調べたところ、「ときめきメモリアル2」のノベライズコンペで勝ち抜き、商業誌デビューした方らしい。「ときめきメモリアル」といえば、恋愛シミュレーションゲームの走りであり、私が小さなころは大人のお兄さんたちが遊んでいる「子供にはまだ早い」ゲームの代表だった。なるほど、この作品が大変甘酸っぱい恋愛小説なのもうなずける。

 

 主人公が電車で一目惚れをするところからこの小説は始まる。電車で見かけた彼女と話すために知らない駅で降り、声をかけて一緒に公園に行くことになる。

 冷めた目で見れば、こんなことは普通はあり得ないし、私のようなチキンハートでは「声をかけても迷惑なだけだろう」と諦める。というか見てるだけで満足して今日はいい日になりそうだなどと思っておしまいだ。(そしてそんな日に限って仕事はうまくいかない。)

 だけど、そんなご都合主義的な出会いさえも運命だったのだと、作品を読み進めるうちにわかる。そしてそれがわかる時には、これが一貫してすれ違いの物語であり、出会いも、別れもすれ違っているからこそ登場人物の想いが読者の胸に強く迫ってくる。

 好きな人との出会いはいくつになってもドキドキするし、別れはいつだって心に喪失感を残す。失われた部分が埋まった時にそこに何が残るのかは、その人と過ごした日々だけでなく、その人とどのような別れ方だったかも大きく関わるものだろう。

 この主人公と彼女が背負った運命は酷く悲しい。自分たちの在りようが、自分たちの力ではどうにもならない宿命が、彼らをすれ違わせる。それにもかかわらず、その出会いを肯定的に受け止める彼らの強さが、私たち読者に悲しさだけでなく爽やかな生きる希望を残してくれるのだ。なにが幸せな結末なのかなんて、結局は当人たちの心の在りようで決まるのかもしれない。そう思わせてくれる作品だ。

 

  

 

ぼくは明日、昨日のきみとデートする DVD豪華版