【書評】<第4回>「生と死から学ぶ―デス・スタディーズ入門 」鈴木康明

 デス・スタディーズ、死生学、といえば、最近はイェール大学の講義を基にした『「死」とは何か』が最近話題になっているが、僕にとって死生学の本と言えば大学生の頃取った講義で使われた、この『生と死から学ぶーデス・スタディーズ入門』(以下、「生と死から学ぶ」)だ。

 『「死」とは何か』の著者の講義はイェール大学で23年間人気(一番、というわけではなさそうだが)の講義ということだが、私の大学でも「生と死から学ぶ」を使った死生学の授業は大変な人気で、当時一番大きい教室だった大教室と呼ばれる教室で行われていた。

 残念ながら、この本は今手元にはない。手元にはないが、10年以上前にもかかわらず大変印象に残っている場面があったのでそれをご紹介しよう。

 当時大学1年生だった僕は大変人気だという死生学の授業を取った。4、5回目の講義だっただろうか。その日は子供を失った母の心情をインタビューしたものを1年後、3年後、5年後、といった形で記述してある箇所についての講義だった。

 授業中に講義を聞くよりも本を読み進めていく癖のあった僕は、その日も講師の話を聞きながら、意識は本を読み進めていくことに集中していた。子供を失ってから3年後の母親の心情としてこんなことが書かれていた。

 

 周りの人は、もう3年も経ったのだから子供のことは忘れなさいと言います。そんなことを言わないでください。私はあの子のことを忘れたくないんです。

 

 当時、18歳だった僕に本当の意味でこの言葉の重みはわかっていなかったと思う。だとしても、それは想像しただけでも目頭が熱くなるものだった。むろん、これだけではなく、子供を失ってから1年後のものでも、5年後のものでも、たんたんと書かれた文章にも関わらず、母親の悲痛が嫌になるくらい伝わってきた。

 周りに気づかれないよう涙をこらえていると、なにやら洟をすする音が聞こえてきた。それが一人だけではないのである。教室のあちらこちらの学生たちが、すんすんと音を立てているのである。すぐに合点がいった。ようやく追いついてくれたか、とも思った。講義に出席している学生の少なくない人数が、子を失った母の言葉を読んで、泣いていたのだ。

 自分が先走って読んだ時には、一人で勝手に泣きそうになった自分が恥ずかしいとしか思えなかった。ティーンエイジャーというのは、そういうことを恥ずかしいと思ってしまう年頃だし、ましてや自分がけして直接的には同じ立場になることのない母親の心情であればなおさらだ。けれど、他の学生も涙をこらえているのを見て、ある種の安心感を持ち、そして死にまつわる悲しみというのは誰でも分かち合うことができると、いま言葉にするのならそういったような想いを持ったものだった。

 

 陳腐な言葉だが、誰もが死から逃れることはできないし、死というものがどういうものなのか事前に知りようはなく、死を迎える瞬間でも本当のところはいったいなんなのかわかりはしないだろう。だからこそ、死をめぐる学問、死生学は、僕たちの興味をこんなにも惹きつけ、感情を揺さぶるのだ。

 

生と死から学ぶ―デス・スタディーズ入門

生と死から学ぶ―デス・スタディーズ入門

  • 作者:鈴木 康明
  • 発売日: 2000/01/01
  • メディア: 単行本
 

 

【アニメ評】<第1回>「かくしごと」久米田康治 原作

 アマゾンプライムとは、なかなか便利なものである。気が付いたらプライム会員にされていて「一体これはどうしたことか」と当時は思ったものだが、あえた退会をするほどのものでもなく、むしろ今となっては入ってよかったとさえ思っている。それは、無料(会費を払っているから厳密には無料ではないのだろうが)でけっこういろいろなアニメを見ることができるからだ。

 

kakushigoto-anime.com

 

 「かくしごと」は久米田康治の同名の漫画を原作とするアニメだ。久米田康治といえば、「勝手に改造」や「絶望先生」などいくつかの作品を愛読しているが、「かくしごと」に興味を持ったのは久米田作品だから、ではない。

 いつだったか、電車のなかで見かけた小さな広告。「かくしごと」というタイトルに、スーツを着た男性とそのスーツに縋るようにして歩く小学生の女の子。この絵に奇妙なほどに惹かれ、記憶に残っていた。社会人になってからというもの、めっきりアニメを見る機会が無くなってしまったからそれきり何をするでもなかったが、アマゾンプライムで番組を探している中に、スーツの男性と小学生の女の子の絵が出てきた。

 

 全12話。時間にするとおよそ5時間分。決して短くないはずの時間が、あっという間に過ぎ去って、終わってほしくない、という気持ちにさせられる。久米田作品らしくパロディやコメディも存分に楽しめる。(タイトルも他作品のパロディとなっているところに制作陣の作品に対する愛情を感じられる。)

 が、この作品には従来の久米田作品にはなかった切なさがある。作品の根底に親子の愛情や大人の苦悩といったヒューマニズムが流れている。扱っているのはやや重たく暗くなりがちなテーマだが、久米田氏の作風がちょうどいい塩梅にその重さを中和してくれる。観ている人に笑いも涙も与えてくれる、珠玉のアニメだ。これは漫画も読まざるを得ないという気にさせてくれるのは、メディアミックスとして大成功なのだろう。

 

 最後に「かくしごと」のオープニング映像のリンクを張り付けておく。なんとなく「君の名は。」を彷彿とさせるような気がするのは、気のせいだろうか。 

www.youtube.com

【書評】<第3回>「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」七月隆文

  大人になったらかからないものと思い込んでいた虫垂炎に社会人になってからかかってしまった時、会社の同僚が差し入れてくれた本のうちの一冊がこの「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」だ。福士蒼汰の主演で映画化もされているので、映画のほうになじみがある人も多いかもしれない。

 作家の七月隆文氏の著書を他に読んだことがなく、今回書評を書くにあたってwikipediaで調べたところ、「ときめきメモリアル2」のノベライズコンペで勝ち抜き、商業誌デビューした方らしい。「ときめきメモリアル」といえば、恋愛シミュレーションゲームの走りであり、私が小さなころは大人のお兄さんたちが遊んでいる「子供にはまだ早い」ゲームの代表だった。なるほど、この作品が大変甘酸っぱい恋愛小説なのもうなずける。

 

 主人公が電車で一目惚れをするところからこの小説は始まる。電車で見かけた彼女と話すために知らない駅で降り、声をかけて一緒に公園に行くことになる。

 冷めた目で見れば、こんなことは普通はあり得ないし、私のようなチキンハートでは「声をかけても迷惑なだけだろう」と諦める。というか見てるだけで満足して今日はいい日になりそうだなどと思っておしまいだ。(そしてそんな日に限って仕事はうまくいかない。)

 だけど、そんなご都合主義的な出会いさえも運命だったのだと、作品を読み進めるうちにわかる。そしてそれがわかる時には、これが一貫してすれ違いの物語であり、出会いも、別れもすれ違っているからこそ登場人物の想いが読者の胸に強く迫ってくる。

 好きな人との出会いはいくつになってもドキドキするし、別れはいつだって心に喪失感を残す。失われた部分が埋まった時にそこに何が残るのかは、その人と過ごした日々だけでなく、その人とどのような別れ方だったかも大きく関わるものだろう。

 この主人公と彼女が背負った運命は酷く悲しい。自分たちの在りようが、自分たちの力ではどうにもならない宿命が、彼らをすれ違わせる。それにもかかわらず、その出会いを肯定的に受け止める彼らの強さが、私たち読者に悲しさだけでなく爽やかな生きる希望を残してくれるのだ。なにが幸せな結末なのかなんて、結局は当人たちの心の在りようで決まるのかもしれない。そう思わせてくれる作品だ。

 

  

 

ぼくは明日、昨日のきみとデートする DVD豪華版
 

 

 

【書評】<第2回>「夜は短し歩けよ乙女」森見登美彦

 この本は大学生男子諸氏にとっては毒物のようなものだ。

 

 大変面白い。老若男女誰にとっても面白いが、特に大学生男子が読むと道を誤る危険性があるほどの面白さだ。

 私は「夜は短し歩けよ乙女」をきっかけに森見ワールドにどっぷりつかることになったわけなのだが、この本に出合ってしまったのは大学3年生の頃だった。本屋大賞2位を受賞してすでに有名な作品だったのだが、そんなこととはつゆ知らず、文庫本の表紙の絵とタイトルに惹かれた「ジャケット買い」だった。

 

 結果的にこのジャケ買いは大成功だった。森見登美彦が描き出す腐れ男子大学生の生態が、独特の語り口で紡ぎだされて完全なる森見ワールドを作り出しているのである。一度読みだしたら最後、ページをめくるのを止めること能わず、というほどの面白さだ。

 

 主人公たる「先輩」ほど腐れ果てている大学生はなかなか見つからないだろうが、その腐り方の方向性は誰にでも心当たりがあるだろう。好きな子に思いを伝えられない、話しかけられないだけなのに、自分や周りに対しては「これは作戦なのだ」とうそぶき誤魔化す経験に思い当たるのは私だけではないはずだ。(そうであってほしい。)

 

 ヒロインである「黒髪の乙女」のキャラクターも秀逸だ。いや、キャラクター以前に「黒髪の乙女」という呼称こそが画期的であるとさえ言っていい。髪が黒い若年の女性ということ以外何もわからないにも関わらず、この呼称だけで腐れ男子大学生が惚れるのにこれほどふさわしいキャラクターはいない、と思えてしまう。腐れた男子大学生が惚れるのは決して茶髪や金髪の乙女ではないのである。(※勝手なイメージです。)

 この黒髪の乙女、まったく浮世離れした女性である。蟒蛇のように酒を食らい、どこに行っても主役となり、そのくせそんな自覚は本人にはまったくない。「こんな女はこの世のどこにも存在しない、男の妄想が作り上げた偶像だけしからん」というお叱りもどこかの誰かが主張しそうな気がするが、たぶんこの作品ではこのキャラクターが正解なのだ。腐れ男子大学生が惚れるのは、地に足の着いた現実感がプンプンと匂い立つような女性では、きっとない。そしてこれは、あくまで主人公たる「先輩」の腐れたフィルターを通しての「黒髪の乙女」なのだ。だから怒ってはいけない。

 

 京都の大学を舞台にした森見作品の文章には独特の軽妙さがあり、「四畳半神話大系」や「恋文の技術」、「新釈走れメロス他四編」でもその軽妙さが遺憾なく発揮されている。 この「夜は短し歩けよ乙女」皮切りに、森見登美彦の腐れ男子大学生ワールドをぜひとも堪能していただきたい。

 ただし、繰り返すが男子大学生諸氏には毒物のようなものなのでくれぐれもご用心いただきたい。「先輩」的な素養は君たちの中にあるだろうが、きみたちはまだ「先輩」ほどには腐れていないはずなのだから。

 

夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)

夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)

 

 

【書評】<第1回>「シアター!」有川ひろ

 さて。「書評」と銘打ってみたものの、その実態は自分の好きな作品をお薦めしたいというだけである。今回紹介するのは有川ひろの「シアター!」シリーズだ。

 

 有川ひろの作品は文章が軽妙で大変読みやすく、その点ではライトノベル的だともいえる。一般的なライトノベルは中高生を主人公としたジュブナイル小説だが、有川作品がライトノベルと一線を画するのは、おっさんが数多く登場することである。それも、恐ろしく魅力的なおっさんたちが。

 「三匹のおっさん」シリーズは主人公の3人が定年を迎えているという、オッサンというよりはむしろ初老といった方がいいくらいの年齢設定だが、有川作品の中で魅力的なオッサンがわんさか出てくる作品と言えば「図書館戦争」シリーズだろう。このシリーズもいつか取り上げたいが、今回は「シアター!」シリーズである。

 

 図書隊(現実世界で近いのは自衛隊か)という一般人からやや遠い世界のかっこいいオッサンが活躍するのが「図書館戦争」シリーズならば、「シアター!」では普通の(というには能力が高すぎるが)サラリーマンのオッサンが活躍する。これだけオッサンオッサン連呼しているとオッサンばかりが登場する酷くむさ苦しい小説のように聞こえるかもしれないが、そんなことはないのでご安心を。登場人物のほとんどは20代中盤の、夢に向かって突き進むやや年齢高めの若者たちを描いた作品だ。

 演劇の劇団を主催する春川巧(たくみ)、27歳にして定職にも就かず、仲間たちと夢を追いかけている社会的甲斐性なしをどうにか真人間にしたいと頭を悩ませているのが最高にカッコいいオッサン、春川司(つかさ)、31歳だ。

 もう、とにかくカッコいいのである。春川司は親族とはいえおいそれと貸すことのできない金額を弟に貸すことになってしまうのだが、その理由も弟が可愛いから、などという単純な理由ではない。いや、根っこでは弟をなんとか演劇という社会生活ができない泥沼から救いたいという想いがあるのだが、その方法は救われる当人である春川巧にとっては何よりも痛い。夢に向かっている人間にとって最も痛いこと、それは夢をあきらめることだ。春川司は言う。

 

「人間が何かを諦めるのに必要な条件って分かる?」

「全力でやって折れることだよ」

 

 しびれる。これほどしびれるセリフはなかなかない。もしこのセリフを本気で言ってくれる先輩が職場にいたら憧れずにはいられない。しかも、である。フェアであることを尊ぶ春川司は、自分の出した条件を達成するために最大限のサポートをするのである。全力を尽くさせて夢を諦めさせるためにサポートするという、やや歪んではいるもののけっして矛盾はしていない、最大限のお兄ちゃんの愛情なのである。

 春川司の口からは次々とカッコいいセリフが紡ぎだされていくのだが、それでも春川司は完璧超人ではない。自分が昔から出来がいいことを知っていて、だからこそ最初から諦めなくてはいけないものがあることも知っている。頭ではわかっていても、心の底ではそれを寂しく思っている。飲み過ぎて、恥ずかしいことを上司に言ってしまう、なんて失敗もする。

 語るところ、その価値観も徹底している。カネである。あらゆることをカネを基準に判断する。その小気味の良さは、夢というある種あやふやなものを追いかけて日々を過ごしている春川巧やその仲間たちに響く。いや、読者である老若男女それぞれに違った形で響く。大きな声では言えないが、私もここで書かれているセリフを若干アレンジして職場の後輩に言っちゃったりしている。

 カネが基準、というとずいぶん冷たい印象を与えてしまうかもしれないが、そんなことはない。春川司は、自分にはない才能を持つ春川巧とその仲間たちのことを十分に認めている。愛情があるからこそ、カネを基準とする彼の言葉は登場人物たちに、そして読者である私たちに深く響くのだ。

 

 有川ひろの小説と言えば恋愛や登場人物の軽妙なやり取りが特徴と言えるが、この「シアター!」シリーズでもそのあたりは存分に堪能できる。個人的な話になってしまうが、かつてとある大学で体育会系の部活のコーチをしていた身としては、この春川司と春川巧(とその劇団員たち)の関係が、当時の自分と大いに重なってしまう。だからこそ、他にも面白いものが沢山ある有川作品の中でもこの「シアター!」シリーズは、私にとって最も特別な作品なのだ。誰が読んでも面白いが、仲間たちと夢に向かっている人が読んだら、間違いなく特別な作品となること請け合いである。

 いつか、完結編になるであろう「シアター!3」が出版されることを気長に待ちながら。

 

シアター! (メディアワークス文庫)

シアター! (メディアワークス文庫)

  • 作者:有川 浩
  • 発売日: 2009/12/16
  • メディア: 文庫
 
シアター!〈2〉 (メディアワークス文庫)

シアター!〈2〉 (メディアワークス文庫)

  • 作者:有川 浩
  • 発売日: 2011/01/25
  • メディア: 文庫